古事記を読む(177)中つ巻-第12代・景行天皇
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日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。
古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」
大碓命と小碓命
景行天皇は、
小碓命に、
「どうしておまえの兄である大碓命は、朝夕の宮中の行事に出てこないのだ。おまえが兄に教え諭しなさい」
と仰せになりました。
ところが、それから5日が経過しても、大碓命は、宮中の行事に出てきませんでした。
このことに景行天皇は、小碓命に、
「どうして、おまえの兄である大碓命は、まだ出て来ないのだ。おまえは、兄に教え諭していないのか」
とお尋ねになりました。」
これに対して、小碓命が、
「すでに教え諭しました」
と答えると、
景行天皇は、
「どのように教え諭したのか」
とお尋ねになりました。
すると、小碓命は、
「明け方に大碓命が厠(トイレ)に入ったとき、待ち構えて捕まえて、握りつぶし、手足を引き裂いて、袋に入れて投げ捨てました」
と答えました。
このことをお聞きになった景行天皇は、我が子である小碓命の猛々しく荒い性格を感じ、小碓命を遠ざけようと考え、
「西の方に熊曽建というものが2人いる。彼らは、従わないものどもだ。おまえは西に向かい、その者どもを討て」
と仰せになり、小碓命を西方へ派遣しました。
このとき、小碓命は、まだ髪を額の上で結う子どもがする髪型をしていました。
父の思惑を知らない小碓命は、叔母の倭比売命から衣服をもらいうけ、剣を懐に挿し入れ、出発しました。
小碓命怖え~。
髪を額の上で結っているとあるので、このときまだ15歳前後だと思われます。
小碓命、のちの日本古代の英雄
倭建命は、この無邪気な兄殺しがきっかで、不信を招き父である
景行天皇から各地への遠征を言い渡され続ける人生を送ります。
小碓命は、純粋に父である
景行天皇の役に立ちたい一心で勇んで、そして無邪気に遠征に出掛けて行きます。
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