古事記を読む(168)中つ巻-第11代・垂仁天皇
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日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。
古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」
本牟智和気御子
本牟智和気御子は、尾張の相津にある二股に分かれている杉の木から二股の木船を作って、それを大和国の市師池や軽池に運んでそこで浮かべて遊んでいました。
ところが、この本牟智和気御子は、顎髭が胸元にまで伸び垂れ下がるまで、言葉をお話になりませんでした。
あるとき、空高く飛んで行く白鳥の声をお聞きになったとき、初めて口を動かし、何かを話そうとなさいました。
そこで、垂仁天皇は、
山辺の大鶙という人物を派遣して、その白鳥を捕らせようとなさいました。
山辺の大鶙は、その白鳥を追い求めて、紀伊国から播磨国、因幡国を越えて、丹波国、但馬国に至り、さらに東へと追い求めて、近江国に至り、そして美濃国を越えて、尾張国を通って信濃国にまで追い求め、ついに越国に追い至りました。
和那美の
水門に網を張り、その白鳥をようやく捕まえて、
垂仁天皇に献上しました。
そういう訳で、この港を「罠網」にかけて「和那美の水門」と呼ぶようになりました。
本牟智和気御子:前の沙本毘売が死の間際に垂仁天皇に渡した御子。
実の母親が不在のためか、本牟智和気御子は、顎髭が胸元に垂れ下がるまで話をしませんでした。
当時は、顎髭が成人男性の象徴でした。
白鳥は、よく捕まえたというところでしょう。
奈良を中心にして、西は鳥取、東は北陸にまで至っています。
まぁ、その白鳥を捕まえても本牟智和気御子の症状は良くならないのですが・・・
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