古事記を読む(178)中つ巻-第12代・景行天皇
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フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。
日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。
古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」
小碓命の熊曽征伐
小碓命が、
熊曽建の家に着き、様子をうかがうと、家の周囲を兵が三重に取り囲み、守りを固めてその中に家が作られていました。
ちょうどその頃、その家の新築祝いの宴をしようと、食べ物を準備していました。
そこで、小碓命は、その周辺で宴の日を待っていました。
ついに宴の日が来ると、
小碓命は、少女のように髪を
櫛で梳き、それを垂らし叔母の
倭比売命からもらった女性用の服を着て、少女のように変装して、宴の女性達の中に混じって家に入りました。
すると熊曽建の兄弟の2人は、変装した少女姿の小碓命を気に入り、兄弟の間に座らせて、酒盛りをしました。
やがて、宴もたけなわとなったとき、小碓命は、懐から剣を取り出し、兄の熊曽の服の襟を掴んで引き寄せて、その剣を胸に突き刺しました。
弟の熊曽は、それを見て恐ろしくなって逃げ出しました。
小碓命は、すぐに追いかけると、その家の階段の下まで行くと、背中を掴み、剣を尻から突き刺しました。
すると、弟の熊曽建は、
「その剣を動かさないでほしい。言いたいことがある」
と言いました。
そこで、小碓命は、剣を動かさず、熊曽建を押し伏せておきました。
すると、弟の熊曽建は、
「あなたは、誰ですか」
と尋ねました。
小碓命は、
「わたしは、纒向の日代宮で大八島国を治める大帯日子淤斯呂和気天皇(景行天皇)の御子である倭男具那王である。
おまえたち熊曽建2人が我々に従わず無礼だと景行天皇がお耳にし、討ち取るよう派遣されたのだ」
と答えました。
熊曽建は、具体名ではなく、「
熊曽」は九州、「
建」は勇猛な者と言う意味で、「九州の勇猛な者」といった意味です。
小碓命ののちの名前でもある
倭建命も「日本の勇猛な者」という意味です。
小碓命は、聡明というか汚いというか、そのような手段で
熊曽建を討ち取ります。
兄の大碓命の手足も引きちぎってますし、熊曽建も簡単にねじ伏せてますから、小碓命は、相当な怪力だったのでしょうが、中性的な外見をしていたということでしょう。
このバックボーンが、倭建命(小碓命)が人気者たる所以でしょう。
同時に、悲劇的な生涯を遂げたということも大きいかもしれません。
これは、義経人気にも通じるところがあり、何故か日本人は、強くてイケメンで悲劇のヒーローが大好きな気がします。
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