古事記を読む(182)中つ巻-第12代・景行天皇
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日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。
古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」
倭建命の東征
倭建命が相模国へ入ったとき、
そこの国造が偽って、倭建命に、
「この野の中に大沼があります。この沼に住んでいる神は、とても乱暴な神です」
と言いました。
倭建命は、その神を見るためにその野に入りました。
ところが、国造は、野に火をつけました。
倭建命は、欺かれたことに気付くと、叔母の
倭比売命から授かった袋の口を開けました。
見てみると、その袋の中には、火打石が入っていました。
倭建命は、
草薙の剣で草を刈り払い、火打石で火を起こし、向かい火をつけて、火を退かせました。
倭建命は、そこから脱出すると、
国造を切り殺しました。
そのような訳でその土地を「焼津」と言います。
それからさらに東に進み、走水海を渡ろうとしたとき、その海の神が波を起こして、船をぐるぐるまわしたため、その先に進めなくなってしまいました。
そこで后の弟橘比売命は、
「わたしが御子(倭建命)に代わって海に身を捧げましょう。御子は東国を平定するという任務を全うし、大和の地にお帰りください」
と仰せになり、
菅畳、
皮畳、
絹畳を重ねて波の上に敷き、その上に下りました。
相模国は、現在の神奈川県です。
しかし、焼津は、静岡県です。
ここに書き間違えなのか多少のズレがあります。
以前に、尾張国で美夜受比売と婚約しましたが、すでに倭建命には、后の弟橘比売命がいました。
一夫多妻制なので、全く問題ないのですが、現在の感覚で読み進めて行くと、違和感が生じます。
荒れる海を鎮めるために海に身を捧げる。
この発想は、人柱に通じるところがあるように思います。
平清盛が、非論理的なそれまでの慣習であった人柱を止めさせたなんて記録がありますが、逆に言えば、12世紀まで、こういった今では考えられない方法で幾多の命が失われたことになります。
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