古事記を読む(185)中つ巻-第12代・景行天皇

 







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フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。 日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。 古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」

伊吹山の神

倭建命やまとたけるのみことは、

「この山の神は、剣を使わず素手で殺そう」

と仰せになると、

山を登りました。

 

そのとき、山のふもとで倭建命やまとたけるのみことは、白い猪と遭遇しました。

その大きさは、牛のように大きなものでした。

 

すると、倭建命やまとたけるのみことは、

「この白い猪は、山の神の使いであろう。今殺さなくても、帰りに殺せばよい」

と仰せになると、

さらに山を登りました。

 

すると山の神は、激しいひょうを降らせると、倭建命やまとたけるのみことを気絶させてしまいました。

 

この白い猪は神の使いではなく、その山の神そのものだったのです。

 

倭建命やまとたけるのみことは、そこを見誤り、「神の使い」として扱ったためこの神の怒りを買ってしまいました。

倭建命やまとたけるのみことは、その後、下山し、

その途中、玉倉部たまくらべの清水に着くと、お休みになると少しずつ回復しました。

そのような訳で、そこを居寤清水いさめのしみずと呼ぶようになりました。

 

その地から出発し、当芸野たぎののあたりに到着したとき、

倭建命やまとたけるのみことは、

「わたしの心は、いつも空を飛んで行きたいと願っていた。しかし今のわたしの足は歩くこともできず、たぎたぎしくなってしまった」

と仰せになりました。

そのような訳で、そこの地を当芸たぎと呼ぶようになりました。

 

その地から少し進むと、倭建命やまとたけるのみことは、はひどく疲れてしまい、杖をついて、そろそろと歩きました。

そのような訳で、そこの地を杖衝坂つえつきざかと呼ぶようになりました。

たぎたぎしく:腫れているいる感じ

 

そもそも倭建命やまとたけるのみことは、何故、草薙の剣を置いてきたのか・・・

そこには、触れられていません。

 

単なる「おごり」でしょうか。

 

あの強かった倭建命やまとたけるのみことが杖をつかなければ歩けないほどに、その描写とは裏腹に地名駄洒落の連発。

もちろん、地名が先にあっての後付けのエピソードです。

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