伊吹山の神
倭建命は、
「この山の神は、剣を使わず素手で殺そう」
と仰せになると、
山を登りました。
そのとき、山のふもとで倭建命は、白い猪と遭遇しました。
その大きさは、牛のように大きなものでした。
すると、倭建命は、
「この白い猪は、山の神の使いであろう。今殺さなくても、帰りに殺せばよい」
と仰せになると、
さらに山を登りました。
すると山の神は、激しい雹を降らせると、倭建命を気絶させてしまいました。
この白い猪は神の使いではなく、その山の神そのものだったのです。
倭建命は、そこを見誤り、「神の使い」として扱ったためこの神の怒りを買ってしまいました。
倭建命は、その後、下山し、
その途中、玉倉部の清水に着くと、お休みになると少しずつ回復しました。
そのような訳で、そこを居寤清水と呼ぶようになりました。
その地から出発し、当芸野のあたりに到着したとき、
倭建命は、
「わたしの心は、いつも空を飛んで行きたいと願っていた。しかし今のわたしの足は歩くこともできず、たぎたぎしくなってしまった」
と仰せになりました。
そのような訳で、そこの地を当芸と呼ぶようになりました。
その地から少し進むと、倭建命は、はひどく疲れてしまい、杖をついて、そろそろと歩きました。
そのような訳で、そこの地を杖衝坂と呼ぶようになりました。