古事記を読む(187)中つ巻-第12代・景行天皇
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日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。
古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」
倭建命の薨去
また、倭建命は、次の歌をお詠みになりました。
和歌(30)
命の 全けむ人は たたみこも 平群の山の 熊白梼が葉を うずに挿せ その子
(命の無事な人は、平群の山の樫の葉を髪に挿しなさい。皆の者。)
この歌は思国歌です。
また、倭建命は、次の歌をお詠みになりました。
和歌(31)
愛しけやし 我家の方よ 雲居たち来も
(愛しい我が家の方から雲が湧いてきているなぁ)
この歌は片歌です。
このとき思国歌は、危篤状態になりました。
また、倭建命は、次の歌をお詠みになりました。
和歌(32)
嬢子の 床の辺に 我が置きし 剣の大刀 その大刀はや
(乙女の床に置いてきた、わたしの剣の太刀。その太刀よ )
この歌をお詠みになると、倭建命は、崩りいたしました。
そこで、大和に遣いを出して、報告しました。
和歌(30):平群は、奈良県平群町。
思国歌:故郷を偲んで詠んだ歌。
片歌:別のもう1つの歌と合わせることによって完成する歌。五、七、七からなる。
和歌(32):倭建命の辞世の句ということになるのでしょうか。この太刀は、当然、草薙の剣。相当な後悔がにじみ出ています。
崩り:「神が上がる」。つまり倭建命は、天空へと上がりました。
倭建命は、白鳥となって現在、大鳥神社(大阪府堺市)が存在する場所に降り立ったとされています。
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