古事記を読む(228)下つ巻-第17代・履中天皇

 







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フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。 日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。 古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」

水歯別命みずはわけのみこと曾婆加理そばかり

水歯別命みずはわけのみことは、曾婆加理そばかりを率いて大和に上り進んだときに、大坂山に到着して思いました。

曾婆加理そばかりは、わたしのために大きな功績を立てたが、自分の主君を殺したのは、忠義に反する。しかし、その功績に報いないのは、信義に反している。しかし、その信義に従えば、いずれ主君の命を狙うかもしれない。それならば、その功績には報いるが、その体は、滅ぼしてしまおう」

 

そして、水歯別命みずはわけのみことは、曾婆加理そばかりに、

「今日はここに留まって、まず大臣おおおみの位を授け、明日、大和へと上り進もう」

と仰せになり

その山の麓に留まり、仮宮かりのみやを造り、すぐに豊楽とよのあかり(酒宴)を催しました。

 

そこでその隼人はやひと曾婆加理そばかり)に大臣おおおみの位を授け、百官もものつかさ(多くの官僚・役人)に拝礼させました。

 

隼人はやひとは、歓喜し、志を遂げたと思いました。

 

水歯別命みずはわけのみことは、その隼人はやひとに、

「今日、大臣おおおみと同じさかずきで酒を飲もう」

と仰せになり、

共に飲んだときに顔が隠れるほどの大きなわんに勧める酒を盛りました。

 

まず王子(水歯別命みずはわけのみこと)が先にのみ、隼人はやひとが、後で飲みました。

 

その隼人はやひとが飲んだとき、大きなわんが顔を覆いました。

 

そこで、水歯別命みずはわけのみことは、敷物の下に置いていた剣を取り出して、隼人はやひとの首を切って殺しました。

 

そして、翌日に大和に上り、そこでその土地を近飛鳥ちかつあすか(大阪府羽曳野市飛鳥)といいます。

 

水歯別命みずはわけのみことは、大和に上って到着すると、

「今日はここに留まって、祓禊みそぎをして、明日になって参上して神宮を拝もう」

と仰せになりました。

 

そこでその土地を遠飛鳥とおつあすか(奈良県明日香村)といいます。

 

そして、石上神宮いそのかみかみのみやに参上して、天皇に、

まつりごとは、既に遂行しましたので、ご報告に上がりました」

と申し上げました。

 

履中りちゅう天皇は、水歯別命みずはわけのみことを御殿に呼び寄せて話し合いました。

 

履中りちゅう天皇は、阿知直あちのあたいを初めて蔵官くらのつかさに任命して、粮地たどころ(耕作地)を与えました。

 

この御世に若桜部臣わかさくらべのおみたちに若桜部わかさくらべの名を与え、比売陀君ひめだのきみたちに姓を与えました。

 

また、履中りちゅう天皇は、伊波礼部いわれべを定めました。

 

履中りちゅう天皇の御寿命は、64歳です。

 

壬申の年の正月三日に崩御しました。

 

御陵は、毛受もず(大阪府堺市石津ヶ丘)にあります。

近飛鳥ちかつあすか明日になって上ったので「あすか」。例によって、土地に関する駄洒落です。

 

曾婆加理そばかりが殺された理論は、よくある理論です。

主君を裏切った者を部下にするとき、やはりその者は、信用されません。

その資質は、変わることなく、次は、「自分に向かう」と新しい主君は思うものです。

 

これが、略奪婚などの場合、盲目的に「この人は、前妻は裏切ったけど、わたしのことは裏切らない」と思ってしまうのでしょうが、往々にして、同じことを繰り返します。

 

話を戻すと、

この主君殺しは、水歯別命みずはわけのみこと自身が命じたものですから、それを遂行した者を殺せば、信義に反するという理由から、とりあえず大臣おおおみにして、信義を果たした後、殺害するということを行いました。

 

ただの都合が良い屁理屈に思えますが・・・

 

これで、履中りちゅう天皇の条は、終了です。

 

水歯別命みずはわけのみことは、第18代・反正はんぜい天皇となり、次からは、その反正はんぜい天皇の話です。

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