古事記を読む(186)中つ巻-第12代・景行天皇
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日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。
古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」
倭建命の薨去
倭建命は、
尾津前の
一松の元に到着すると、
伊吹山へと向かう道中、この場所で食事をし、そのとき忘れた太刀が無くなることなくそのまま、残っていました。
これに対して、倭建命は、次の歌をお詠みになりました。
和歌(28)
尾張に 直に向へる 尾津の崎なる 一つ松 あせを 一つ松 人にありせば 大刀佩けましを 衣着せましを 一つ松 あせを
(尾張国に真っ直ぐに向かっている尾津の崎の一本松よ。
一つ松が人間であるならば、太刀を帯びさせてあげるのに。
衣服を着せてあげるのに。一本松よ )
倭建命は、三重の村へと到着すると、
「わたしの足は、三重に曲がったまがり餅のように腫れて曲がってしまい、とても疲れた」
と仰せになりました。
そういう訳で、その土地を「三重」と呼ぶようになりました。
倭建命は、そこからさらに先の
能煩野に到着しました。
倭建命は、故郷を偲んで、次の歌をお詠みになりました。
和歌(29)
倭は 国のまほろば たたなづく
青垣 山隠れる
倭しうるはし
(大和は、とても良い国だ。幾重にも重なる青々とした垣根のような山々に籠もり隠れている大和は、美しい)
和歌(28):「あせを」は、囃し言葉であり、漢字では「吾兄を」。古代日本では、「兄」は夫、「妹」は妻を指しています。
能煩野:三重県鈴鹿市と亀山市あたりの地帯。
和歌(29):脈力なく故郷の大和に思いを馳せています。人間死期が近づくと故郷を思い出すのが定番なのか、倭建命も例に漏れずかなり衰弱しています。
ちなみに「和歌(29)」は、日本書紀にも出てきますが、日本書紀では、倭建命の父である景行天皇が詠んでいます。
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