古事記を読む(188)中つ巻-第12代・景行天皇

 







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フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。 日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。 古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」

倭建命やまとたけるのみこと薨去こうきょ

大和の倭建命やまとたけるのみことの后と御子達は、知らせを聞くと、皆、倭建命やまとたけるのみことのもとに行き、御陵を作りました。

 

后と御子達は、その御陵の周囲の田んぼを這い回って、泣きながら次の歌を詠みました。

和歌(33)

なづきの田の 稲幹いながらに 稲幹いながらに ひ廻ろふ 野老蔓ところづら

(御陵の近くの田の稲の茎、稲の茎にまとわりついている山芋のつるよ)

 

すると、倭建命やまとたけるのみことの魂は、大きな白鳥となって、空を飛び、海へと飛んで行きました。

倭建命やまとたけるのみこと后と御子達は、小竹の切り株で足を切りながらも、痛さを忘れ泣きながら追いかけました。

このときに、倭建命やまとたけるのみことの后と御子が次の歌を詠みました。

和歌(34)
浅小篠原あさしのはら 腰なづむ 空は行かず 足よ行くな

(丈の低い篠の原を進もうとしても、篠が絡み付いて進めない。
空を飛んで行くことも出来ない。足で歩いて行くしかない)

 

また、海に入り、どうにかして進もうと苦労しているときに次の歌を詠みました。

和歌(35)

海が行けば 腰なづむ 大河原の 植ゑ草 海処うみがは いさよふ

(海を進もうとしても、海水が腰にまとわりついて苦労して進めない。
広い川に生える水草のように、海では進めない)

 

また、千鳥が飛んで、磯に着いたとき、后と御子が次の歌を詠みました。

和歌(35)

浜つ千鳥 浜よは行かず 礒づた

(浜辺の千鳥は、行く安い浜辺を行かず、行きにくい磯伝いに行く)

 

これらの4首の歌は、倭建命やまとたけるのみこと御葬みはぶりに歌われた歌です。

それで現在に至るまで、天皇の大御葬おおみはぶりでは、これらの歌を歌います。

現在に至るまで:当たり前ですが、今現在ではなく、これが書かれた当時ということです。

 

個人的に、后と御子たちの思いは伝わってきますが、天皇の葬儀で代々歌うほど内容のある歌のようには思えませんが・・・

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