古事記を読む(217)下つ巻-第16代・仁徳天皇

 







この記事を書いている人 - WRITER -
フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。 日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。 古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」

皇后の嫉妬と黒日売くろひめ

仁徳にんとく天皇の大后おおきさきである石之日売命いわのひめのみことは、嫉妬なさることが多い女性でした。

 

そのため天皇が、側に置き仕えさせようとする妃たちは、宮中にも入ることさえできず、もし、噂が立つようなことがあれば、足をばたばたとさせてお妬みになりました。

 

天皇は、吉備の海部直あまべのあたい(吉備国、岡山県・広島県東部の一族)の娘である黒日売くろひめの容姿が麗しいと聞くと、呼びよせて仕わせました。

 

しかし、黒日売くろひめは、大后おおきさきの妬みを恐れて本国(吉備国)へ逃げ帰ってしまいました。

天皇は、高殿の上で黒日売くろひめが乗った船が出て行き、海に浮かんだのをご覧になり、次の歌をお詠みになりました。

和歌(45)

沖方には 小船連らく 黒鞘の まさづ子我妹こわぎも 国へ下らす

(沖には小舟が連なっている。我が愛しい妻が故郷へ帰って行く)

 

大后おおきさきは、その歌を聞いてとてもお怒りになると、大浦(大阪湾)に遣いを送り、黒日売くろひめをその船から下ろさせて陸路を歩いて帰らせました。

 

天皇は、黒日売くろひめを恋しく思い、大后おおきさきを欺いて、

「淡道島(淡路島)を見たいと思う」

と仰せになり、お出掛けになり、淡道島で遙か遠くを眺めて次の歌をお詠みになりました。

和歌(46)

おしてるや 難波の崎よ 出で立ちて 我が国見れば 淡島 おのごろ島
あじまさの 島も見ゆ さけつ島見ゆ

(難波の崎から海に出て我が国を見ると、淡路島もおのごろ島もあじまさ(植物)が生えた島も見え、そして離島も見える)

 

そして、天皇は、その島を伝って吉備国へ行きました。

 

黒日売くろひめは、吉備国の山方の畑で大御飯おおみけを献上しました。

 

黒日売くろひめが熱い吸い物を献上しようとその土地の青菜を摘んでいると、天皇がその孃子おとめが青菜を摘んでいるところにやってきて、次の歌をお詠みになりました。

和歌(47)

山方に 蒔ける菘菜あおなも 吉備人と 共にし摘めば 楽しくもあるか

(山の畑に蒔いた青菜も吉備の乙女と一緒に摘めばなんと楽しいことか)

 

天皇がお帰りになるとき、黒日売くろひめが次の歌を詠んで奉りました。

和歌(48)
倭方やまとへに 西吹き上げて 雲離れ 退き居りとも 我忘れめや

(大和の方に西風が吹き上げて、雲が離れて行きますが、わたしは、あなたのことを忘れることはありません)

 

また、黒日売くろひめは、次の歌を詠みました。

和歌(49)
倭方やまとへに 往くは誰が夫 こもりづの 下よへつつ 往くは誰が夫

(大和の方に行くのはどこのお方でしょうか。わたしと密かに心を通わして先へと行くのはどこのお方でしょうか)

和歌(49):「こもりづの」は、「下」に掛かる枕詞で、「下よへつつ」は、「密かに心を通わして」の意味。

 

仁徳にんとく天皇は、偉大な天皇であったと同時に女性が大好きでした。

そんな天皇の正妻が、理解ある女性ではなく、嫉妬深く、妾を故郷へ帰らせるだけではなく、船で帰ろうとしていたその妾を「大阪から岡山まで歩いて帰れ」と船から下ろしたと。

こんな話をわざわざ何故古事記に載せたんだろうとは思いますが、強烈な個性です。

 

和歌(48)と和歌(49)は、シンプルですが、切ない思いが伝わってきます。

この記事を書いている人 - WRITER -
フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。 日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。 古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」




Copyright© 深夜営業ジャパノロジ堂 , 2019 All Rights Reserved.