日の本の屋根裏から日本を考える

古事記を読む(220)下つ巻-第16代・仁徳天皇

 







この記事を書いている人 - WRITER -
雨野やたしげ
フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。 日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。 古事記の教育現場復帰を強く願う「自分たちの神話を学ばない民族に未来はない」。

石之日売命いわのひめのみこと

口子臣くちこのおみ、その妹の口日売くちひめ奴理能美ぬりのみの3人は、話し合って、天皇に次のように申し上げました。

大后おおきさき奴理能美ぬりのみの家にお出掛けになっている理由は、奴理能美ぬりのみが飼っている虫が、一度は這う虫になり、次は殻になり、次は飛ぶ鳥になる、3種類に変化する奇妙な虫でございます。この虫をご覧になるためだったのです。他の意図は、ございません。」

 

これに対して、天皇は、

「それならば、わたしも奇妙と思うので、見に行きたいと思う」

と仰せになりました。

 

そして、大宮からお出ましになり、奴理能美ぬりのみの家にお入りになりました。

 

そのとき、奴理能美ぬりのみが飼う3種の虫を大后おおきさきに献上しました。

 

そして、天皇は、大后おおきさきのいる御殿の戸口に立って次の歌をお詠みになりました。

和歌(56)

つぎねふ 山代女の 木鍬持ち 打ちし大根 さわさわに 汝が言へせこそ 打ち渡す やがはえなす 来入り参来れ

(山代の女が木の鍬を持って畑を耕して作った大根。その葉がさわさわととしている。あなたが騒がしく言うから、多くの桑の枝が騒がしく、大勢の者を連れて来てしまった)

 

この天皇と大后おおきさきの歌った6つの歌は、志都歌しづうた歌返うたがえしです。

 

しかし、天皇は八田若郎女やたのわきいらつめを恋しく思って、次の歌をお詠みになりました。

和歌(57)

八田の 一本菅ひともとすげは 子持たず 立ち荒れなむ あたら菅原 言をこそ 菅原と言はめ あたら清し女

(八田(奈良県大和郡山市矢田町)の一本菅ひともとすげは子を持たず立ち荒れてしまうのだろうか。惜しいことだ。言葉の上では菅原と言っているが、惜しいことに清々しい女である)

 

これに対して、八田若郎女やたのわきいらつめが答えて次の歌を詠みました。

和歌(58)

八田の 一本菅ひともとすげは 独り居りとも 大君し よしと聞こさば 独り居りとも

(八田の一本菅ひともとすげは、1人で居ても構いません。大君がそれで良いと仰せであるならば、1人で居ても構いません)

 

そこで、天皇は、八田若郎女やたのわきいらつめ御名代みなしろとして八田部やたべをお定めになりました。

一度は這う虫になり、次は殻になり、次は飛ぶ鳥になる、3種類に変化する奇妙な虫:当然ながら蚕のことです。

奴理能美ぬりのみは、朝鮮半島からやって来た韓人からひとです。

この話を単純に読むと、朝鮮から日本に蚕、養蚕ようさんが伝わったということ。

しかし、仁徳にんとく天皇のこの時代、日本には、とっくに蚕は伝わっており、絹が出土している。

和歌(57):八田若郎女やたのわきいらつめには、子がなく、それを一本菅ひともとすげに例えている。

御名代みなしろ名を残すための土地。

 

この次にも女鳥王めどりのみこという女性が出て来て、結果、成就はしませんが、この女鳥王めどりのみこにも仁徳にんとく天皇は、求婚し、数々の女性と浮き名を流しました。

おまけに大后おおきさき石之日売命いわのひめのみことは、非常に嫉妬深い女性でしたが、関係を破綻させることなく良好に保ち国の統治を行いました。

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