速総別王と女鳥王
天皇は、弟の速総別王に仲を取り持ってもらい庶妹の女鳥王をお求めになりました。
女鳥王は、
速総別王に次のように語りました。
「大后の石之日売命の御気性が強いことが理由で、天皇は、八田若郎女を迎えることができませんでした。なのでわたしは、天皇にお仕えできません。わたしは、あなたの妻になります」
そして、すぐに速総別王と女鳥王は結婚し、速総別王は、天皇に報告しませんでした。
天皇は、女鳥王のいる所に行き、その御殿の戸の敷居の上にお座りになりました。
女鳥王は、機織り機の前に座って服を織っていました。
それで天皇は次の歌をお詠みになりました。
和歌(59)
女鳥の 我が大君の 織ろす機 誰が料ろかも
(わたしの女鳥王が織っている服は、誰のためのものだろうか)
女鳥王は、次のように答えて歌を詠みました。
和歌(60)
高行くや 速総別の 御襲衣料
(速総別王の衣服にするものです)
これによって、天皇は、女鳥王の気持ちを知り、宮に帰りました。
このとき、夫の速総別王が到着して、妻の女鳥王が次の歌を詠みました。
和歌(61)
雲雀は 天に翔る 高行くや 速総別 鷦鷯獲らさね
(雲雀は、天を翔けまわる。まして高く天を行く隼の名を持つ速総別王よ。鷦鷯(仁徳天皇の名前)の命を取ってしまいなさい。
天皇は、この歌を聴くと軍勢を集めて2人を殺そうと思いました。
速総別王は、
女鳥王と共に逃げて、
倉椅山(奈良県桜井市にある山)に登りました。
そこで速総別王が、次の歌を詠みました。
和歌(62)
梯立ての 倉椅山を 嶮しみと 岩懸きかねて 我が手取らすも
(倉椅山が険しく岩に手をつくことも出来ないので、妻は、わたしの手を取った)
また、次の歌を詠みました。
和歌(63)
梯立ての 倉椅山を 嶮しけど 妹と登れば 嶮しくもあらず
(倉椅山は険しいが、妻と登れば険しいこともない)
その地から逃げ延びて、宇陀の蘇邇(奈良県宇陀郡曽爾村)に到着したとき、天皇の軍に追いつかれ、2人は、殺されてしまいました。
その軍の将軍である山部大楯連は、女鳥王が手に巻いていた玉釧(玉を付けた腕輪)を奪って、自分の妻に与えました。