古事記を読む(221)下つ巻-第16代・仁徳天皇

 







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フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。 日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。 古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」

速総別王はやふさのわけのみこ女鳥王めどりのみこ

天皇は、弟の速総別王はやふさのわけのみこに仲を取り持ってもらい庶妹ままいも女鳥王めどりのみこをお求めになりました。

 

女鳥王めどりのみこは、速総別王はやふさのわけのみこに次のように語りました。

大后おおきさき石之日売命いわのひめのみことの御気性が強いことが理由で、天皇は、八田若郎女やたのわきいらつめを迎えることができませんでした。なのでわたしは、天皇にお仕えできません。わたしは、あなたの妻になります」

 

そして、すぐに速総別王はやふさのわけのみこ女鳥王めどりのみこは結婚し、速総別王はやふさのわけのみこは、天皇に報告しませんでした。

 

天皇は、女鳥王めどりのみこのいる所に行き、その御殿の戸の敷居の上にお座りになりました。

女鳥王めどりのみこは、機織り機の前に座って服を織っていました。

 

それで天皇は次の歌をお詠みになりました。

和歌(59)

女鳥の 我が大君の 織ろす機 誰が料ろかも

(わたしの女鳥王めどりのみこが織っている服は、誰のためのものだろうか)

 

女鳥王めどりのみこは、次のように答えて歌を詠みました。

和歌(60)

高行くや 速総別はやぶさわけの 御襲衣料みおすひがね

速総別王はやふさのわけのみこの衣服にするものです)

 

これによって、天皇は、女鳥王めどりのみこの気持ちを知り、宮に帰りました。

 

このとき、夫の速総別王はやふさのわけのみこが到着して、妻の女鳥王めどりのみこが次の歌を詠みました。

和歌(61)

雲雀は 天に翔る 高行くや 速総別はやぶさわけ 鷦鷯さざき獲らさね

(雲雀は、天を翔けまわる。まして高く天を行くはやぶさの名を持つ速総別王はやふさのわけのみこよ。鷦鷯さざき仁徳にんとく天皇の名前)の命を取ってしまいなさい。

 

天皇は、この歌を聴くと軍勢を集めて2人を殺そうと思いました。

 

速総別王はやふさのわけのみこは、女鳥王めどりのみこと共に逃げて、倉椅山くらはしやま(奈良県桜井市にある山)に登りました。

 

そこで速総別王はやふさのわけのみこが、次の歌を詠みました。

和歌(62)

梯立ての 倉椅山くらはしやまを さがしみと 岩懸きかねて 我が手取らすも

倉椅山くらはしやまが険しく岩に手をつくことも出来ないので、妻は、わたしの手を取った)

 

また、次の歌を詠みました。

和歌(63)

梯立ての 倉椅山くらはしやまを さがしけど 妹と登れば さがしくもあらず

倉椅山くらはしやまは険しいが、妻と登れば険しいこともない)

 

その地から逃げ延びて、宇陀うだ蘇邇そに(奈良県宇陀うだ曽爾そに村)に到着したとき、天皇の軍に追いつかれ、2人は、殺されてしまいました。

 

その軍の将軍である山部大楯連やまべのおおたてのむらじは、女鳥王めどりのみこが手に巻いていた玉釧たまくしろ(玉を付けた腕輪)を奪って、自分の妻に与えました。

庶妹ままいも腹違いの妹。

和歌(61):女鳥王めどりのみこ速総別王はやふさのわけのみこ鷦鷯さざき仁徳にんとく天皇の名前)と鳥の名でまとめられています。

 

そして、夫のはやぶさ速総別王はやふさのわけのみこ)よ、鷦鷯さざき仁徳にんとく天皇の名前)の命を取ってしまいなさい。

いきなりこんな歌を詠んだというよりは、和歌(60)で、仁徳にんとく天皇は、自分と女鳥王めどりのみことの仲の仲介を頼んだ速総別王はやふさのわけのみこが、女鳥王めどりのみこと結婚している事実を知るわけです。

 

本来なら、ここで、激怒されて、殺されても不思議ではないはずですが、あっさりと引き下がります。

 

あくまで、恋が成就しなかった腹いせにではなく、和歌(61)をきっかに2人を殺害したという流れです。

和歌(60)の後に、殺害される方がしっくりと来ますが・・・

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