古事記を読む(226)下つ巻-第17代・履中天皇

 







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フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。 日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。 古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」

墨江中王すみのえのなかつみこの反逆

履中りちゅう天皇が、当初、難波宮なにわのみやにおいでになったとき、

大贄おおにえ(新嘗祭)の豊明とよのあかり(酒宴)を催していたときに、大御酒おおみきをお呑みになり、ほろ酔い気分で寝てしまいました。

 

すると、その弟の墨江中王すみのえのなかつみこが天皇を殺害し、その位を奪おうと御殿に火を付けました。

 

倭漢直やまとのあやのあたいの祖の阿知直あちのあたいが天皇をこっそりと連れ出して馬に乗せて大和へ逃れました。

 

多遲比野たじひの(大阪府羽曳野市)に到着したところで、履中りちゅう天皇は、目を覚まして、

「ここはどこか」

と仰せになりました。

 

阿知直あちのあたいは、

墨江中王すみのえのなかつみこが御殿に火を付けましたので、大和へ逃れています」

と答えました。

 

そこで、天皇は、次の歌をお詠みになりました。

和歌(68)
多遲比野たじひのに 寝むと知りせば 立薦たつごもも 持ちて来ましもの 寝むと知りせば

多遲比野たじひので寝ることが分かっていたら、こも(風除けに立てるもの)を持って来たものを。多遲比野たじひので寝るって知っていたなら)

 

波邇賦坂はにふざか(大阪府羽曳野市)で難波宮なにわのみやをの方を見ると、火は、なおも燃えていました。

 

そこで、天皇は、次の歌をお詠みになりました。

和歌(69)
波邇賦坂はにふざか 我が立ち見れば かぎろひの 燃ゆる家村 妻が家のあたり

波邇賦坂はにふざかでわたしが立って見渡すと多くの燃える家や村が見える。妻の家のあたりだ)

墨江中王すみのえのなかつみこ履中りちゅう天皇と同じく、仁徳にんとく天皇と大后おおきさき石之日売命いわのひめのみこととの子。

和歌(68):部下の機転がなければ、亡くなっていた事件ですが、履中りちゅう天皇は、呑気な歌を詠みます。この和歌は、きっと笑うところなんだと思います。「寝むと知りせば」の繰り返しが笑いを誘います。

 

和歌(68)もそうですが、酔っ払って眠っているときに、御殿に火を付けられ、部下の機転で外に連れ出され・・・普通は、ここで起きます。

しかし、履中りちゅう天皇は、この状況でもまだ眠っており、馬に乗せてしばらく行ったのちに起きます。

これも個性であり、武力に長けていたというよりも大らかな一面が出ています。

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