古事記を読む(236)下つ巻-第20代・安康天皇
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日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。
古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」
大日下王の事件
あるとき、天皇は、神床で昼寝をしていました。
天皇は、皇后(長田大郎女)に、
「おまえには、何か心配事があるか」
とお尋ねになりました。
これに、皇后は、
「天皇の厚い恵みを頂いているのですから、何も思うことはありません」
と答えました。
皇后(
長田大郎女)には、前の夫である
大日下王との間に
目弱王という、7歳になる男の子がいました。
目弱王は、そのとき、その御殿の下で遊んでいました。
天皇は、その幼い王が御殿の下で遊んでいるのを知らず、皇后に、
「わたしは、常に心配していることがある。それは、おまえの子である目弱王が成人したときに、わたしがその父を殺したことを知ることがあれば、復讐心を抱くのではあるまいか」
と仰せになりました。
御殿の下で遊んでいた目弱王は、この言葉を聞いて、すぐに天皇が寝ていることを密かに伺って、その傍らにあった太刀を取って、天皇の首を打ち切り、都夫良意富美の家に逃げ込みました。
天皇の御寿命は、56歳。
御陵は、菅原の伏見岡(=奈良県奈良市宝来町)にあります。
神床:天皇が神意を受ける床。
天皇が暗殺されるという前代未聞の事件が発生しました。
公式な記録として、暗殺された天皇は、この第20代・安康天皇と、第32代・崇峻天皇の2人だけです。
そもそも目弱王の父親である大日下王は、完全な冤罪でしたが、安康天皇は、部下の嘘を見抜くことができず、無実の大日下王を殺害しました。
この大失態と神聖な神床で昼寝をするという神への不敬がこの暗殺の伏線となっていると読むのが自然な気がします。
いずれにせよ、安康天皇は、崩御しましたが、もうしばらく安康天皇の条は、続きます。
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