古事記を読む(240)下つ巻-第20代・安康天皇
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日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。
古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」
意祁王と袁祁王
市辺王(
忍歯王)の
王である、
意祁王(のちの
仁賢天皇)と
袁祁王(のちの
顕宗天皇)の2柱は、この争乱での父の死を知り逃げました。
山代の苅羽井に到着して御粮(干した飯。携帯食)を食べていると、目尻に刺青を入れた老人がやって来て、その粮を奪いました。
そのとき、2柱の王は、
「その粮を惜しいとは思わないが、おまえは一体誰だ」
と聞きました。
すると、老人は、
「わたしは、山代の猪甘だ」
と答えました。
その後、2柱の王は、玖須婆(大阪府枚方市楠葉)の河を逃げ渡って、針間国(播磨国)に到着すると、志自牟という名のその国人の家に入りました。
2柱は、身分を隠して馬飼い、牛飼いとして仕えて働きました。
猪甘:豚を飼う部署。
大長谷王子(のちの
雄略天皇)は、皇位を求めて、競合する身内である
忍歯王を殺害しました。
当然、その2人の息子である意祁王と袁祁王も危険を察し、逃げ出します。
食べ物の恨みは恐ろしい。
とりわけ、逃避行中の食べ物の恨みはもっと恐ろしい。
米を干した携帯食を取り上げたこの老人は、ご丁寧に身分を明かして略奪を行いました。
この2人が王であることも知らず・・・
やがて、2人が天皇になると、この老人は、きっちりと殺害されます。
安康天皇の条は、これで終わりです。
次回からは、第21代・雄略天皇です。
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