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古事記を読む(241)下つ巻-第21代・雄略天皇

 







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雨野やたしげ
フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。 日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。 古事記の教育現場復帰を強く願う「自分たちの神話を学ばない民族に未来はない」。

后妃こうひ皇子女おうじじょ

大長谷若建命おおはつせのわかたけるのみことは、

長谷はつせ長谷朝倉宮はつせのあさくらのみや(奈良県桜井市)において天下を統治なさいました。

 

天皇は、大日下王おおくさかのみこの妹である若日下部王わかくさかべのきみと結婚しましたが、子はありませんでした。

 

また、都夫良意富美つぶらおおみの娘である韓比売からひめと結婚して生まれた子が、

白髪命しらかのみこと(のちの清寧せいねい天皇)です。

次に妹の若帯比売命わかたらしひめのみことです。

 

白髪太子しらかのひつぎのみこ御名代みなしろとして白髪部しらかべを定め、

また、長谷部はせべ舎人とねりを定め、

河瀬かわせ舎人とねりを定めました。

 

このとき、呉人くれひと(中国南方の人)が日本に渡って来ました。

その呉人くれひと呉原くれはら(現在の奈良県明日香村栗原)に定住させました。

そのため、その地を名付けて呉原くれはらといいます。

舎人とねり天皇、皇族に仕える人。

 

のちに清寧せいねい天皇となる白髪命しらかのみことが生まれました。

この清寧せいねい天皇は、次の第22代天皇として即位するのですが、皇妃を設けることなく、当然皇子女おうじじょもいませんでした。

清寧せいねい天皇に子がなく、清寧せいねい天皇の父親である雄略ゆうりゃく天皇が、皇位につく際に競合相手となる身内を殺害しまくりましたから、ここで一気に継承者不足の皇位継承問題が噴出します。

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