若日下部王
大后が
日下(東大阪市
日下)にいたとき、天皇は、
日下の
直越の道(大和から難波につながる道)から河内にお出ましになりました。
そのとき、山の上に登って国内をご覧になると堅魚木を屋根の上に載せている家がありました。
天皇は、その家を尋ねさせ、
「その堅魚木を載せているのは誰の家だ」
と問うと、
「志機大県主の家です」
と答えました。
これに対して、天皇は、
「この奴め。自分の家を天皇の御殿に似せて作るとはどういうことだ」
と仰せになり、
すぐに人を遣わせて、その家を焼かせようとしました。
そのとき、その大県主は、恐れて頭を地面に着けて、
「わたしは愚かでした。愚かさに気付かずに過度に作ってしまい、とても申し訳ありません。お詫びとして贈り物を献上いたします」
と申し上げました。
布を白い犬に掛け、鈴をつけて、腰佩という名の自分の一族のその犬の縄を取らせて、献上いたしました。
天皇は、火を付けるのを止めさせました。
そして、天皇は、若日下部王の元へお出ましになり、
「これは、今日、道中で得た珍しいものである。これを結納の品としよう」
と伝えさせ、その犬を若日下部王に贈り届けました。
これに対して、若日下部王は、天皇に、
「天皇が日に背いてお出ましになるという事は、とても不吉なことです。ですから、わたしが直接宮中に参上してお仕えしましょう」
と申し上げました。
そこで、天皇は、宮にお帰りになる途中の山の坂の上に立って、次の歌をお詠みになりました。
和歌(83)
日下部の 此地の山と 畳薦 平群の山の 此地此地の 山の峡に 立ち栄ゆる 葉広熊樫 本には いくみ竹生ひ 末辺には たしみ竹生ひ い組み竹 い組みは寝ず たしみ竹 たしにはい寝ず 後も組寝む その思い妻 あはれ
(日下部のこの山と平群の山と山との間に、立って茂っている葉の広い樫の木よ。その根元には笹が絡み、枝の先には竹が茂って重なっている。わたしたちは、その重なった竹のように重なり合って寝ることはないが、必ず一緒に重なり合って寝たいものだ。愛しい妻よ、ああ。)
天皇は、この歌を持たせて使者を若日下部王の元に返しました。