古事記を読む(265)下つ巻-第30代・敏達天皇
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古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」
后妃と皇子女
欽明天皇の子である
沼名倉太玉敷命は、
他田宮で天下を14年統治なさいました。
この天皇が、腹違いの妹である豊御食炊屋比売命と結婚して生まれた子が、
静貝王、別名、
貝鮹王。
次に竹田王、別名、小貝王。
次に小治田王。
次に葛城王。
次に宇毛理王。
次に小張王。
次に多米王。
次に桜井玄王。
この8柱です。
また伊勢大鹿首の娘である小熊子郎女と結婚して生まれた子が、
布斗比売命。
次に宝王、別名、糠代比売王。
この2柱です。
息長真手王の娘である
比呂比売命と結婚して生まれた子が、
忍坂日子人太子、別名、
麻呂古王。
次に坂騰王。
次に宇遅王。
この3柱です。
また春日中若子の娘である老女子郎女と結婚して生まれた子が、
難波王。
次に桑田王。
次に春日王。
次に大俣王。
この4柱です。
この天皇の御子たちは、合わせて17柱です。
そのなかの忍坂日子人太子が、腹違いの妹である田村王、別名、糠代比売命と結婚して生まれた子が、
岡本宮で天下を統治した
天皇(のちの
舒明天皇)。
次に中津王。
次に多良王。
この3柱です。
漢王の妹である
大俣王と結婚して生まれた子が、
智奴王。
次に妹桑田王。
この2柱です。
また腹違いの妹である玄王と結婚して生まれた子が、
山代王。
次に笠縫王。
この2柱です。
合わせて7柱の王です。
敏達天皇は、
甲辰年の4月6日に崩御しました。
御陵は、川内の科長にあります。
敏達天皇では、崩御の日と御陵の場所に関する記述がなされています。
皇位につくこともなかった忍坂日子人太子の御子として、舒明天皇が出てきましたが、舒明天皇は、天武天皇の父親に当たります。
古事記は、天武天皇の命による編纂ですから、そういった政治的背景のもとで記述されているのでしょう。
これで、敏達天皇に関する条は、終了です。
次回からは、第31代・用明天皇です。
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