古事記を読む(4)上つ巻-伊邪那岐神と伊邪那美神
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日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。
古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」
伊邪那岐神と伊邪那美神の結婚
そこで、伊邪那岐神は、伊邪那美神に聞きました。
「あなたの身体はどのようになっている?」
と問うと、
伊邪那美神は、
「わたしの身体は、すでに出来あがっておりますが、一ヶ所だけ足りないところがあります」
と答えました。
伊邪那岐神は、
「わたしの体もすでに出来あがっているが、一ヶ所だけ余ったところがある。そこでわたしの余ったところを、あなたの足りない所に挿し入れて、国を生もうと思うのだが、どうだろうか?」
と言うと、
伊邪那美神は、
「それはよろしいですね」
と答えました。
そこで、伊邪那岐神は、
「それならば、わたしとあなたでこの天御柱を先ほどと同じようにお互い反対に廻り逢って、出逢ったところでまぐわいましょう」
と言いました。
日本の神々は、全知全能の絶対的なものではなく、実に人間的で不完全で失敗や試行錯誤を繰り返して、国を生んでいきます。
天皇家の祖神で最高神天照大御神でさえ、古事記のなかではどこか頼りなさげで、ものごとの決定は、必ず天つ神を集めて「どうしたいいと思う?」と意見を聞きます。
古事記は、天武天皇の命のもと国家が編纂した正史です。
その正史のなかで描かれている天照大御神のこのような姿は、少なくとも古代の日本がその実現の可否にかかわらず、このような政治を理想としていたということが分かります。
権威と権力を同じ人物が掌握しない。
権力者は往々にして権威を欲しがるものですが、そこをきっちりと切り分けた。
権威たる天皇は、権力を握らず、そして権力者といえど、血筋ゆえ自らが天皇になることはできません。
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