古事記を読む(89)上つ巻-国譲り

 







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フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。 日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。 古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」

建御雷神たけみかづちのかみ

建御名方神たけみなかたのかみは、これに恐れをなして引き下がりました。

次は、建御雷神たけみかづちのかみ建御名方神たけみなかたのかみの手を取りにかかり、手を取ると、若いあしを握りつぶすように投げ飛ばしました。建御名方神たけみなかたのかみは、恐れて逃げ去りました。

しかし、建御雷神たけみかづちのかみは、建御名方神たけみなかたのかみを追いかけて行き、科野国しなののくに(信濃国:長野県)の州羽すわの海(諏訪湖)に追い詰めて、殺そうとしました。

そのとき、

建御名方神たけみなかたのかみは、

「恐れいりました。わたしをどうか殺さないでください。今後、この諏訪の土地からは出て行きません。我が父の大国主神おおくにぬしのかみの命令に背くこともしません。八重言代主神やえことしろぬしのかみの言葉にも背きません。この葦原中国あしはらのなかつくには、天つ神あまつかみの御子の仰せの通り献上いたします」

と言いました。

建御名方神たけみなかたのかみは、出雲から長野県まで逃げてそのまま諏訪すわの地で、妻もめと諏訪大社すわたいしゃに祀られるようになりました。

古事記では、建御雷神たけみかづちのかみの引き立て役になった建御名方神たけみなかたのかみですが、多くの武将から信仰を集めました。

いよいよ国譲りの交渉が成立しました。

この「国譲り」は、あくまで平和的に出雲が大和に国を譲ったから美談とされていると個人的に思っています。しかし、何故古事記では、このような一見、武力制圧ととられ兼ねない書き方をしたのだろう・・・

平和裏には進んだが、多少の衝突はあったということなのかもしれません。

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