日本勝利!!個人的記憶だけに頼った、内容極薄ワールドカップ話

(敬称略)
最初にはっきり言っておくと、わたしはサッカーが分からない・・・
ルールなどは、親しんでいるが、戦術とか各選手の個々の能力とか、ポジションの適性とか・・・
バスケットと野球は、少しは分かる。
バスケットも野球も高校生の試合をよく観に行くが、戦術も、個々の才能やセンスのある無しも割と分かる。
が、サッカーは、本当に分からない・・・
サッカーで解説者が「○○選手が良く機能している」とか言っていても、ぽかーん分からない。
それでも観ていて面白いから、日本代表の試合とワールドカップだけは観ている。
1994年アメリカ大会
当時、中学生のバスケ少年であったが、サッカー部の友人の影響で初めてワールドカップを真剣に観た。
お金ではない何かを賭けていた記憶がある・・・
わたしは、よく分からないながら、優勝予想にイタリアを選んだ。
そして、イタリアの快進撃が始まる。
当時のイタリアのエースは、ロベルト・バッジョ。彼の凄さは、はっきり言って分からないが、渋~い顔ということだけは中学生ながら分かった。
もう1つ分かったことは、イタリアがガチガチに引いて守るという戦術をとっていたこと。
イタリアが勝ち進むたびに、同級生からこの戦術に対する非難がわたしに向かった。
観ていて面白いのは、やはり攻めのサッカーである。
はっきと覚えているが、準決勝ブルガリア戦の後半は、フォワードも含め全員が自陣に引きガチガチにゴールをかため、試合終了までリードをただ守るだけのある意味面白くもないサッカーをしていた。
守りきって勝利を見届け学校に行くと、鬼のような猛批判・・・
そして、ブラジルとの決勝。
もうこの決勝の頃には、エース・ロベルト・バッジョは、満身創痍だったが、ブラジル相手にPK戦まで粘るも、結局PK戦の末イタリアの敗退。
このPKの最後のキッカーがロベルト・バッジョだったが、蹴った瞬間にダメだと分かる程あらぬ方向に飛んで行った悲しい記憶が・・・
やはり、この大会の大事件としては、コロンビアの選手がオウンゴールをし、帰国後、射殺されてしまったこと。
この事件は、衝撃的だった。
みんなで地理の教科書でコロンビアの場所を確認して、
「決して、行くまい」と誓い合った。
1998年フランス大会
日本が初めて参加したワールドカップ。
これまで、日本サッカーを支えてきたカズの落選、やはりこれが印象的。そして、謎の岡ちゃん(岡田監督)フィーバー。
試合は、アルゼンチン、クロアチア、ジャマイカに全敗で予選敗退。
ジャマイカには、勝つかなと淡い期待を抱いていたが、見事に敗戦。
敗因は、よく分からない・・・
分からないながら、勝てる気がしない雰囲気は感じていた。
そして、開催国のフランスが優勝し、開催国が優勝したときの盛り上がる様を目にするうちに、2002年の日韓大会での日本の優勝を夢見る。
2002年日韓大会
自国開催と同年代の稲本、中田浩二、小野、小笠原が代表の中心とあって、やっぱり思い入れが一番強い大会。
当時の国内の雰囲気は、共催国・韓国との友好ムード。
当初は、わたしもその気持ちであったが、韓国のラフプレーを目の当たりにするうちに気持ちが変化。
隠れアンチに。
「隠れ」なのは、そんなことを公言しようものなら、「折角の友好を」と非難される雰囲気がそこはかとなく漂っていた。
よく覚えているが、親戚が集まってテレビで韓国戦を観戦し、みんな韓国を応援している。わたしは、後ろの方でとても応援する気になれず、密かに対戦相手を応援していた。
しかし、韓国が勝利し、親戚歓喜。
(おいおいおいおい!)と。
日本は、決勝トーナメントに進むもトルコに惜敗。
そんな記憶・・・
生きている間にもう1度、日本単独で開催して欲しいな~。
2006年ドイツ大会
この大会は、初戦オーストラリア戦の敗戦のショックを妙に覚えている。
そして、次のブラジル戦での大敗。
本当に何も出来なかった大会だった気がする。
この大会もちょうど同年代の稲本、中田浩二、小野、小笠原、遠藤、高原が20代半ば過ぎ。
はっきり行って、同年代がチームの中心となって活躍できる最後の大会であっただけに悲しい記憶しかない大会。
2010年南アフリカ大会
日本にとってのワールドカップで一番結果を残したワールドカップ。
しかし、この大会の記憶をたどるとスペインの強さしか思い出せない・・・そんな大会。
記憶が出てこない・・・これ以上書きようがない・・・
2014年ブラジル大会
全く良いところがなかった大会。
コロンビアにコテンパンにとどめを刺された記憶・・・。
2018年ロシア大会でその雪辱が晴らせて良かった。
これ以上の記憶が・・・出て来ない・・・
近年の方が何も出て来ない・・・
これは、ひどい・・・
終了~