和歌山県・和歌の浦の玉津島神社
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フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。
日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。
古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」
仕事を早々に切り上げ、和歌山県・和歌の浦に。


和歌の浦は、一級品の歌枕であり、和歌好きの憧れの地。
玉津島神社


和歌の浦は、歌枕らしく和歌の神が祀られている玉津島神社があり、御祭神の一柱は、衣通姫という絶世の美女です。
その名の由来は、あまりの美しさに、その美しさが衣を通して輝いていたことから。
古事記にも登場しますが、同母兄である軽太子と愛を結ぶという禁忌を犯します。
皇太子候補であった軽太子は、このスキャンダルで失脚し、伊余湯(道後温泉)に島流しにあいますが、衣通姫は、そのあとを追い、2人で自害するという悲しい結末を迎えます。
参考:古事記を読む(232)下つ巻-第19代・允恭天皇
古代日本では母親が違う兄妹での結婚は、割とよくあることでしたが、同母間の兄妹の結婚は最大の禁忌でした。
本朝三美人
また、前述したように、衣通姫は、和歌の神と同時に絶世の美女であり、本朝三美人の一人にも挙げられるほどの美女でした。
ちなみに、本朝三美人は、
- 藤原道綱母
- 衣通姫
- 光明皇后(聖武天皇の皇后)
であり、
それぞれ、
藤原道綱母

衣通姫

光明皇后

ってな感じです。
藤原道綱母は、有名な「
蜻蛉日記」の作者であり、百人一首でも、以下の歌が採られています。
藤原道綱母
歎きつつ ひとり寝る夜の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る
(嘆きながら、ひとり孤独に寝る夜が明けるまでの時間がどれだけ長いかあなたはご存じでしょうか?ご存じないでしょうね)
「蜻蛉日記」によると、この歌は、夫藤原兼家に対して詠んだものであり、兼家が他の女の元へばかり通うようになり、久しく自分の元へは通って来ず、ようやくある日の明け方に兼家が尋ねて来たので、盛りを過ぎた菊一輪と共にこの歌を渡したということです。
兼家は、その後藤原時姫との間に藤原道長をもうけ、藤原北家の栄華を築きます。
「蜻蛉日記」は、とにかく嫉妬心に溢れていて、個人的には、「蜻蛉日記」を読む限り、藤原道綱母は、ご勘弁という感じです・・・
ちょっと、話が脱線してしまいました。
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