天皇家に寿命が設定されたエピソード

「古事記を読む」シリーズもいよいよ「天孫降臨」に入りました。
古事記本文には無いエピソードを少し補いたいと思います。
天照大御神の孫の邇邇芸命は、日本を統治すべく宮崎県の高千穂に天孫降臨し、そこで絶世の美女である木花之佐久夜毘売と出逢います。木花之佐久夜毘売
邇邇芸命は、木花之佐久夜毘売に一目惚れしてしまい、求婚します。
「木花之佐久夜毘売・・・」
名前から想像できると思いますが、絶世の美女の象徴的存在です。
少し余談・・・
わたしが、20代前半の頃、「開耶」という女性と知り合いになりました。
「木花之佐久夜毘売」は、古事記上での表記であり、日本書紀では、「木花開耶姫」という表記になっています。
当時、古事記と日本書紀は、読んだことはありましたが、はっきり言ってその内容は頭には入っていませんでした。
しかし、木花之佐久夜毘売と木花開耶姫が絶世の美女の象徴であることくらいは分かります。
開耶という名前を聞いて、
「名前の「開耶」て、神様の開耶?」
と単刀直入に訊くと、
「そう、お父さんが好きで。・・・完全に名前負け」
と、伏し目がちに顔を左下に5度ほど傾けてポツリと答えたのが、
わたし的に、ツボに入ってゲラゲラ笑った覚えがあります・・・失礼な話ですが・・・
しかし、彼女もそれほど多くはなくても、それまでに何回か同様の質問をされたことがあったみたいで、その自虐を込めた答え方は、悲哀と笑かしを絶妙に孕んだものでした。
木花之佐久夜毘売が出てくると、個人的にどうしても開耶が生まれながらに背負わされたプレッシャーとその自虐が脳裏に浮かび笑いを呼び起こします。
話を戻すと、
木花之佐久夜毘売は、それほど「美の象徴」ということです。
美しいだけではなく、古事記本文に出てくることなので割愛しますが、凄まじい気概も持ち合せているのが一部で根強い人気を支えていると個人的には思っています。
木花之佐久夜毘売には絶世に美しくない姉がいた
邇邇芸命の求婚を受け、木花之佐久夜毘売は家に帰り、そのことを父親に報告します。報告を受けた父親は、その話から一瞬にして、その相手の男が天皇の系譜の邇邇芸命であるということを見抜き、ノリノリになります。
そこで、結婚を了承するのは、勿論のこと、木花之佐久夜毘売の姉の石長比売もセットにして姉妹1パックで嫁に出します。
しかし、この石長比売は、絶世に美しくない女性でした。
「帰れー!!!!!」
と、邇邇芸命は、石長比売のみを帰してしまいます。
なかなかの酷い話ですが・・・
よく考えてください。
この時代、鏡は、一般には手に入らない貴重品です。
姉の石長比売は、毎日絶世の美女である妹の木花之佐久夜毘売を見て育ち、姉妹なんだから、顔もよく似ているだろうと思って育って来たわけです。
何故、自分だけが帰されたのかが理解できない石長比売は、その後、鏡を入手すると、恐る恐る鏡を覗きこみます。
そして・・・
・・・
・・・
悲鳴を上げて、鏡を遠くへ投げ捨ててしまいます・・・
姉妹を同時に嫁がせたのには、訳があった
姉の石長比売だけが再び帰って来たことに、父親は、カンカンに怒り、恨み節を言います。
姉妹をセットで嫁に出したのは、
「邇邇芸命様が、木花之佐久夜毘売を娶ってくだされば、天皇の系譜は、桜の花のように華やかに栄え続け、石長比売を娶ってくだされば、天皇の系譜は、岩のように寿命が来ることなく栄え続ける。」
このような思いがあってこそであり、石長比売のみを帰したのであれば、
「天皇の系譜は、桜の花のように華やかに栄え続けはするが、岩のような寿命ではなく、代々儚く散って行くであろう」
と・・・
要は・・・
本来、神様というのは、寿命がありません。
伊邪那美神のように、外的損傷から亡くなるという例はありましたが、基本的に病気で亡くなるということはありません。邇邇芸命も本来寿命というものがありませんでしたが、この石長比売を帰してしまった一件から、邇邇芸命本人だけではなく、その後連綿と続く、天皇の系譜全てに、寿命が設定されてしまったということです。
この形態の神話は、東南アジアでよく見られ「バナナ型神話」とも言われています。
神から石を与えられた人間が、その石を、食べることが出来るバナナと交換して、そのバナナを食べると寿命が設定されてしまうというような話です。
ちなみに、日本人に寿命があるのは、伊邪那美神の呪いのためでした。
美しいかろうが、美しくなかろうが、女性には、優しく接するべきだということでございます・・・