2019/08/27

「核兵器のない世界」は、きっと来ない・・・

 




この記事を書いている人 - WRITER -
雨野やたしげ
フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。 日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。 古事記の教育現場復帰を強く願う「自分たちの神話を学ばない民族に未来はない」。

8月6日、8月9日、8月15日。

これらの日が近づいてくると、夏の暑さとともに、心が自然と沈んでいく。

後遺症で今なお苦しんでいる被爆者の方がいるという意味でももちろんだが、73年経とうが過去とはなっておらず、日本が抱えている根本的な問題の多くはこの敗戦に起因しているように思う。

 

そして、勝った米国が、憲法を作成し、教育に手を入れた。自分たちに都合が良いように・・・

 

国体は、護り抜いたが、国家の根幹の憲法と教育を徹底的にやられた。

 

神道指令に基づく、神話の教育の禁止・・・教科書から日本神話が消えた。

 

焚書ふんしょ、人間宣言、

意図的に、

「大東亜戦争」はいつの間にか「太平洋戦争」に名前を変えた・・・

 

米国の占領は、とうに終わったはずだが、教科書に日本神話は戻って来ていない。

 

根付いたのは、極端な「自虐思考」

GHQは、本当に賢いやり方をしてくれたと思う。

 

本当に暗澹あんたんたる思いになる・・・

 

しかし、今回こんなことを書きたかったのではない・・・笑

 

題名のことを書こうと思ったのは、

先日、日本が不参加の「核兵器禁止条約」批准ひじゅんを被爆者団体が安倍首相に求めているニュースを見て少し思うところがあったから・・・

現に被爆した当事者の方たちの要望である訳で、極めてデリケートな問題である。

 

この求めに対して、

首相は「アプローチは異なるが、条約が目指す核兵器廃絶はわが国も共有している」と答えていた。

 

このアプローチの違いでの誤解は、非常に多いと思っている。

これは、戦争に対する考え方でも同じことが言え、戦争を望んでいる人などいないはずである。

 

例えば、憲法9条を保持して平和を得ようという考えと、憲法9条を改正して抑止力を持って平和を得ようという考え。

アプローチが違うだけで、両者とも平和を望んでいるのだが、何故か後者の方は、戦争賛成派というレッテルが貼られがちになる。

 

個人的に、拉致被害者は、憲法9条の被害者でもあると思っている。

自ら戦争は放棄すれど、その意を汲まない他国から犯されたとき、自国民を守る手段を明記してない憲法

 

話を戻すと、さらに、

被爆国で、核保有国でもない日本で、北朝鮮の核の脅威が格段に増しているなか、核兵器廃絶を望んでいない日本人がいるのだろうか。

つまり、「核兵器禁止条約」に参加しない理由がそれなりにあるということ。

いっせいのーで

核兵器禁止条約に賛成するだけで、核兵器が廃絶させるのなら、誰もが賛成するであろう。

もちろん、前向きな賛成の姿勢を示すことの大切さも分かる。

 

しかし、世界中が核廃絶に動いたとき、リスクもあるということを理解する必要がある。

 

「核の廃絶」

これは、核保有国が「いっせいのーで」で同時に核を廃棄する必要がある。

 

核を拳銃に例えても良く、核保有国が拳銃をたずさえて互いを牽制し合っている。

互いに拳銃を持たないのが理想だが、この牽制し合っている図式も、これはこれでバランスが取れていて、何も起きない。

しかし、やはり拳銃みたいな物騒なものは、皆持つのをやめようとなったとしても、最初に率先して拳銃を地面に置く者はいない。

 

つまり、

「いっせいのーで」で皆同時に地面に置かないとこれは成立しない。

 

さらに、皆同時に自分の持っている拳銃を地面に置く約束をしたとしても、約束を破ることなど何とも思っていない人物や国もいる訳で、置いたとしてもさらに別のものを隠し持っていない保証もない。

正直に拳銃を地面に置いたとして、もし誰かが別のものを隠し持っていたら、力関係は一気に激変する

話を核に戻して、

世界が核廃絶に動いている中、黙って核を作り続ける嘘つき国家があるとしたら、そのときのその核の値打ちは、莫大なものになる。

 

この「いっせいのーで」が本当にできるのか。

個人的には、極めて非現実的だと思っている。

 

そして、忘れてはいけないのが、
日本もまた、米国の核の傘に守られている国であるということ。

 

「縮小」の選択はあるだろうが、「廃絶」の道が困難を極めるのは、誰もが思うことだろう。

 

仮に各国が正直に「廃絶」をしたとしても、ならず者の嘘つき国家が約束を破り、独占したときのリスクはあまりにも大きい。

そういう訳で、個人的には、日本は「核兵器禁止条約」に参加すべきではないと思っている。

 

この意見も、被爆国の日本が「核兵器禁止条約」に参加しないなんてあり得ないと言われがちだし、平和に逆行しているように見られがちだと思うが、これもいわゆる「アプローチの違い」なだけで、向いている方向は同じなのである。

 

「縮小」を重ねての「廃絶」があくまで理想ではあるが、その非現実的な理想を求めた先のリスクよりも、核兵器が世界中にあったとしても、抑止力を持ちバランスをとり使わせないようにして平和を維持する。

 

いい加減、国内で分裂してレッテルを貼り合うのではなく、「アプローチの違い」の差を相互理解していくべきだと最近強く思う。

 

自戒を込めて・・・

 

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雨野やたしげ
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