伊勢物語-第四十七段 大幣
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日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。
古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」
(原文)
むかし、男ねんごろに、いかでと思ふ女ありけり。
されどこの男を、あだなりと聞きて、つれなさのみまさりつついへる。
和歌(87)
大幣の引く手あまたになりぬれば思へどえこそ頼まざりけれ
返し、男、
和歌(88)
大幣と名にこそ立てれ流れてもつひによる瀬はありといふものを
(現代訳)
昔、ある男が、心からどうにかして関係を持ちたいと思う女がいた。
けれども、女は、この男が浮気者であるという噂を聞いていて、
冷淡さばかりをつのらせながら、次のように詠んだ。
和歌(87)
あなたは、神社の大幣のように引く手あまたでありましょうから、
あなたのことを思っていたしても、あなたのことを頼って、あてにしたりはしません。
返しとして、男が次のように詠んだ。
和歌(88)
大幣のように引く手あまたであると有名にはなっていますが、
その大幣であっても、最後には流れ着く、浅瀬があるというものですよ。
この段は、どちらの和歌にも出てくる大幣が鍵で、これを理解しないと解釈するのが難しい。
神社で穢れを祓うために使用される幣帛。

お祓いが済むと、人々が各々、自らの身に引き付けて穢れを大幣に移し、その大幣は、後で水に流される。
人々が手に引き寄せるため、和歌(87)の「引く手あまた」につながる。
あなたは、わたしのことを「引く手あまた」の浮気者と仰いますが、そんなわたしもやがて、水に流され、どこかに流れ着くのです・・・つまり、それがあなたなのです。
こういったやり取りが交わされている。
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