古事記を読む(112)上つ巻-日向三代
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フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。
日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。
古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」
海幸彦と山幸彦
海神は、すべての海の大きな魚から小さな魚まで様々な魚を呼び集めて、
「もしや、釣針を取ったものはいるか」
と問うと、
魚たちは、
「近頃、鯛が喉に骨のようなものが刺さって、ものを食べることができないと悩んでます。そういう訳で、この鯛が取ったということでしょう」
と言いました。
そこで、その鯛の喉を見てみると、釣針が刺さっていました。
その釣針をすぐに外して、洗い清めて、火遠理命に差し出しました。
そのとき、
綿津見大神は、
「この釣針を、あなたの兄に返すときに、こう言って後手で返しなさい。
『この釣針は、心が憂鬱になる釣針、心がイライラと狂う釣針、貧しくなる釣針、愚かになる釣針』」
と仰せになりました。
後手:後手で何かをするというのは、呪いとなります。この場合は、対面してではなく、後ろ向きの状態で釣針を返すということ。
この後手は、後ろ向きに何かをするということに限らず、拍手を手の甲でするなどの行いも後手と言えます。
裏ピースは、・・・どうだろう笑
まぁ裏ピースは、外国人の方に対して、やらない方が良いのは確かですが、その禁忌の意味合いは、後手の観念とは恐らく違うでしょうが・・・
いずれにせよ、
貸したものを失くされ、3年も音沙汰無しで、ようやく返しに来たと思ったら、後手で呪いをかけて返されるという、何とも言えぬ理不尽さ。
確かに、兄の火照命は、弟が代替物として用意した釣針を頑なに受け取らなかったという、少し意地悪な一面もありますが、呪いを掛けられるほど悪いことをしたとは、思えません。
そして、
釣針が喉に刺さったまま、3年間生きている鯛。
個人的に、突っ込みどころ満載な回でございます。
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