古事記を読む(138)中つ巻-第3代・安寧天皇

 







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フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。 日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。 古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」

安寧あんねい天皇

師木津日子玉手見命しきつひこたまでみのみことは、片塩の浮穴宮うきあなのみやで、天下を統治いたしました。

この天皇が、河俣毘売かはまたびめの兄の県主あがたぬし波延はえの娘の阿久斗比売あくとひめと結婚して、生まれは子が、

常根津日子伊呂泥命とこねつひこいろねのみこと

大倭日子鉏友命おおやまとひこすきとものみこと

師木津日子命しきつひこのみことです。

 

この天皇の御子たち、合わせて三柱のうち大倭日子鉏友命おおやまとひこすきとものみことは、天下を統治いたしました。

 

次に、師木津日子命しきつひこのみことには、2人の子がいらっしゃたが、その1人は、伊賀の須知の稲置すちのいなき那婆理の稲置なばりのいなき三野の稲置みののいなきの祖です。

 

もう1人の和知都美命わちつみのみことは、淡路の御井宮みいのみやにいらっしゃった。

和知都美命わちつみのみことには、2人の娘がおられたが、姉の名は、蝿伊呂泥はえいろね
別名を意富夜麻登久邇阿札比売おほやまとくにあれひめのみことといいます。

妹の名は、蝿伊呂杼はえいろどといいます。

 

安寧あんねい天皇の御寿命は、49歳。

御陵は、畝火山うねびやま美富登みほとにあります。

大倭日子鉏友命おおやまとひこすきとものみことのちの第4代懿徳いとく天皇。

 

安寧あんねい天皇に関する記述もこれですべてです。

次は、第4代天皇懿徳いとく天皇です。

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