古事記を読む(251)下つ巻-第22代・清寧天皇

 







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フリーの翻訳者・ライター、編集、校正。 日本の伝統文化である和歌、短歌、古典、古事記、日本文化、少しのプライベート。 古事記の教育現場復帰「未来を担う子ども達に自分たちのアイデンティティである日本神話を」

意祁命おけのみこと袁祁命をけのみこと

山部連小楯やまべのむらじおだてが、播磨国はりまのくにの長官に任じられたとき、

山部連小楯やまべのむらじおだては、その国の人民である志自牟しじむの新居を祝う宴会を訪れました。

 

盛んに宴会をして盛り上がりが最高潮になった頃、皆で舞を踊り始めました。

 

火を焼く係りの2人の少子わらわたちが、かまどのそばにいて、その少子わらわたちにも舞を踊らせました。

 

すると、そのうちの1人が、

「兄上が、先に舞ってください」

と言い、兄もまた、

「弟のおまえが、先に舞いなさい」

とお互いに譲り合いました。

 

こうした譲り合う様子を見ていた集まった人たちは、その様子を笑いました。

 

ようやく兄が舞い終えて、次に弟が舞おうとしたところ、次のように詠いました。

「物部の、我が夫子が、取りける、大刀の手上に、丹畫き著け、其の緒は、赤幡を載せ、赤幡を立てて見れば、い隱る、山の三尾の、竹をかき苅り、末押し靡かすなす、八絃の琴を調ぶる如く、天の下治めたまひし、伊邪本和氣の天皇の御子、市辺の押歯王の、奴末」

(武人であるわたしの父がいている大刀の柄に、赤色で書きつけ、その緒には赤い布を飾り、赤い旗を立てると、敵が隠れ、その敵が隠れた山の峰の竹を刈り、その竹の先をなびかせ、八弦の琴を奏でるようにして、天下を治めた、伊邪本和気天皇いざほわけのすめらみこと履中りちゅう天皇)の御子の市辺押歯王いちのへのおしはのみこの子がわたしです)

 

小楯連おだてのむらじは、聞き驚いて床から転げ落ち、その家にいた人たちを追い出し、その2柱の王子みこたちを左右の膝の上に載せて、王子みこたちの苦労を泣き悲しんで、人々を集めて仮宮かりのみやを作り、その仮宮かりのみやに2柱の王子みこをお連れして、早馬の使者を走らせました。

 

すると、この2柱の王子みこの叔母である飯豊王いいとよのみこは、それを聞き喜んで、2柱の王子みこを宮にお迎えになりました。

飯豊王いいとよのみこやその周りの人たちは、恐らく、意祁命おけのみこと袁祁命をけのみことは、亡くなったものと思っていたのでしょう。

 

血統が途絶えかけているタイミングでもあり、二重の喜びとなって意祁命おけのみこと袁祁命をけのみことの生存が伝えられます。

臨時的とは言え、現在の天皇である飯豊王いいとよのみこは、意祁命おけのみこと袁祁命をけのみことの生存を大いに喜んでいることから、飯豊王いいとよのみこ自身に権力欲が無いのが分かります。

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