古事記を読む(266)下つ巻-第31代・用明天皇

 







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后妃こうひ皇子女おうじじょ

橘豊日命たちばなのとよひのみことは、池辺宮いけのへのみやにおいて、3年の間、天下を統治なさいました。

この天皇が、

稲目宿禰大臣いなめのすくねのおおおみの娘である意富芸多志比売おおぎたしひめと結婚して生まれた子が、

多米王ためのみこ

この1柱です。

 

また、腹違いの妹である間人穴太部王はしひとのあなほべのみこと結婚して生まれた子が、

上宮之厩戸豊聰耳命かみつみやのうまやとのとよとみみのみこと(のちの聖徳太子)

次に久米王くめのみこ

次に植栗王うえくりのみこ

次に茨田王うまらたのみこ

この4柱です。

 

また当麻倉首比呂たぎまのくらのおびとひろの娘である飯子いいのこと結婚して生まれた子が、

当麻王たぎまのみこ

次に妹の須加志呂古郎女すかしろこのいらつめ

 

用明ようめい天皇は、丁未年ひのとのひつじのとしの4月15日に崩御なさいました。

 

御陵は、石寸掖上いわれのわきがみにありましたが、のちに科長しながの中陵に移しました。

用明ようめい天皇に関する記述もこの后妃こうひ皇子女おうじじょに関する列挙で終了です。

 

用明ようめい天皇の皇子として、聖徳太子が誕生しました。

ご存じのように、聖徳太子は、皇位につくことができる身分でしたが、皇位につくことはなく、その伯母にあたる推古すいこ天皇が初めての女性天皇として即位します。

 

そして、古事記は、推古すいこ天皇までを記しています。

 

用明ようめい天皇の条は、これで終了です。

次回からは、第32代・崇峻すしゅん天皇です。

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